水素分子とは

本章では、水素分子の作用の多様性、有効性に関するメカニズム研究の経緯と提唱された新しい分子メカニズム、および水素分子を用いた医療の展望についてご説明致します。

お問い合わせ

2.1 水素分子の作用の多様性

2007年に大澤らが水素(H2)ガスの吸入が脳梗塞モデルラットの虚血再灌流障害を軽減することを報告して以来、H2の医療利用に関する研究が飛躍的に進展し、現在まで有効性に関する300報を超える非臨床試験の原著論文と20報を超える臨床試験の原著論文が報告されています。図2-1に示しますようにH2が有効性を示す疾患または器官の範囲も中枢神経、呼吸器、循環器、消化器、眼、耳、肝臓、腎臓、皮膚、歯、代謝、骨、関節、炎症、臓器移植、癌、疲労など非常に広範囲です(Ohta Sら, 2014a; 2014b)。

 H 2は当初報告された抗酸化作用だけでなく、抗炎症作用、抗アポトーシス作用、抗アレルギー作用、脂質代謝改善作用、神経保護作用、血管拡張作用、シグナル伝達の調節作用などの新しい作用を示すことが報告されました(Ohta Sら, 2014a; 2014b)。当社が外部機関と共同研究を行ったヒト臨床試験の結果でも脳梗塞、パーキンソン病、腹膜透析、急性皮膚発赤、関節リウマチ、乾癬性関節炎、血管内皮機能に改善効果が認められました。


図2-1 水素分子の効果の多様性
(Ohta Sら, 2014の文献から改変引用)

2.2 メカニズムに関する研究の経緯

前章でもご説明しましたように、水素分子(H2)は活性酸素の中でもヒドロキシルラジカル(·OH)とペルオキシナイトライト(ONOO-)を選択的に消去します(Ohsawa Iら, 2007)。これはH2の持つ酸化障害抑制作用です。この作用は図2-2に示しますように、H2がこれらの活性酸素に直接作用して水に変換する化学的反応で、H2が作用する標的分子は·OHとONOO-です。一方、H2は酸化ストレス抑制作用、抗炎症作用、神経保護作用、脂質代謝改善作用、シグナル伝達の調節作用などの多彩な作用を示しますが、これらの作用は図2-2に示しますように、今までシグナル伝達や遺伝子発現の調節などを伴う二次的反応(生物学的反応)と考えられていました(Ohta Sら, 2014a; 2014b)。そして、H2が多彩な作用を示す一次標的となる分子が不明なため、この分子メカニズムの解明が課題となっていました。


図2-2 従来の水素分子の作用メカニズム
(Ohta Sら, 2014の文献から改変引用)

2.3 提唱された新しい分子メカニズム

2016年に井内らにより上記の水素分子(H2)の有効性に関する分子メカニズムを検討した論文が報告されました(Iuchi Kら, 2016)。この論文では、酸化リン脂質とCa2+の相互関係に及ぼすH2の分子メカニズムについて、無細胞系と細胞培養系を用いた実験を行い、以下のシグナル伝達経路が提唱されました。

 H 2ガスが存在しない条件(図2-3の左図)では、細胞膜におけるフリーラジカル連鎖反応が酸化リン脂質を生成する際に、細胞外から細胞内へのCa2+流入(Ca2+シグナル)が誘発されます。そして、このCa2+シグナルにより、カルシニューリン(細胞内シグナル伝達に関与する酵素の一種)の活性化と転写因子であるNFATの誘発が起き、NFATは核の中に移動してDNAと結合します。そして、その遺伝情報から蛋白質合成の元となるmRNAの発現が起きます。一方、1.3 %以上のH2ガスが存在する条件(図2-3の右図)では、H2が細胞膜におけるフリーラジカル連鎖反応を修飾した結果、酸化リン脂質の生成が修飾されます。そして、ここで修飾を受けた酸化リン脂質はアンタゴニスト(拮抗物質)として働き、Ca2+のシグナル伝達を抑制します。その結果、H2は最終的に下流の転写因子の活性化からmRNA発現に至る経路を抑制するという、分子メカニズムです。

 この論文では、H 2で修飾された酸化リン脂質が特定されていませんので、この(またはこれらの)物質を特定する今後の研究が必要です。また、Ca2+で修飾された酸化リン脂質がブロックするCa2+の流入経路も不明です。更に、H2は今回のシグナル伝達経路とは異なる他の伝達経路を介して遺伝子発現を調節している可能性もあります。本論文により、これまで不明とされたH2の分子メカニズムの一部が解明されたと考えられますが、今後の更なる分子メカニズムの解明が必要です。


図2-3 提唱された新しい水素分子の分子メカニズム
(Iuchi Kら, 2016の文献から改変引用)

2. 4 今後の展望

水素分子(H2)の医薬品化への研究開発は途上にあります。H2が食品添加物として認められていることもあり、現在、多くの会社から様々なH2水(非常にH2の含有濃度が低いものも含む)が食品として販売されていますが、これらのH2水は医薬品として認定されているものではありません。H2水が疾病治療に利用されるためには厚生労働省からH2水の効果効能が認められ、医薬品として認可を受ける必要があります。また、H2ガスを輸液に溶解させ点滴を行う療法やH2ガスの吸入療法も一部の医療機関で実施されていますが、これらも厚生労働省から医薬品や医療機器として認可を受ける前段階の臨床研究の位置付けです。H2は非常に有効性や安全性に優れた医療利用可能なガスです。どんなに優れた技術であっても産業化に結び付いて社会に貢献できる技術でなければ存在意義がありません。医薬品化に向けての研究開発が「H2の医療利用のパイオニア」である当社に与えられた課題と考えています。

2.5 参考文献

  • Iuchi K, et al (2016); Sci Rep, 6: 18971.
  • Ohsawa I, et al (2007); Nat Med, 13: 688-694.
  • Ohta S (2014a); Pharmacol Ther, 144: 1-11.
  • Ohta S (2014b); Methods Enzymol, 555: 289-317.